大人の人間なら“吉原”という地名を聞けば、どういう所かなんとなく察しがつくだろう。
関西の田舎で生まれ育った私でさえ、映画「吉原炎上」などの影響で、子共ながらに何となくイヤらしい事をする場所 というのは知っていた。
ところが“吉原”という地名は現在は残っていない。今ならスマホ一発で場所が解るだろうが、私が大人になって上京した頃にはまだスマホなど無かった。
私が上京して最初に住んだのが浅草だ。
当時の私は若く金も無かったので、風俗に行くという発想が全く無く、健全な日々を過ごしていた。
そして浅草に住んで1年ほど経ったころ、ひょんな事から“吉原”が浅草の近くにあるという事を知った。浅草に住んではいたが、家と浅草駅の往復ばかりでそれほど浅草に詳しい訳ではなかった。(もちろん浅草寺には行った事があるし、六区辺りをぶらつくぐらいの事はしていたが。)
家の近くに“吉原”があるという事で、俄然興味がわいてきた。エロ心というより単純な好奇心で“遊郭”というものをこの目で見たくなったのだ。
しかしいくら思い返してみても、浅草近辺に“吉原”っぽい所が思い浮かばない。
私の経験上、どこの地方に行っても風俗街というものは何となく雰囲気で解るものだ。だいたい近くに飲み屋やラブホテルがあったりするので何となく空気感で解る。
そう言えば六区にストリップ劇場やポルノ映画館があったのを思いだした。
大体あの辺りだろうと目星をつけて探しにいった。六区周辺はいかがわしい店も多く、花やしきの裏辺りにはラブホテルもある。私の勘ではこの辺に違いないはずだが・・。
しかし遊郭らしいものは見当たらない。ひょっとして“吉原”という名前だけが一人歩きして今は存在していないのかも?と思ったりもした。
もう少し足を伸ばしてみて、国際通りの向こう側(浅草ビューホテルの裏あたり)まで行ってみる事にした。ラブホテルや小さな風俗店?のようなものが何店舗かある。これが“吉原”なのか・・、こんな規模が小さいのかな?などと考えるがどうみても違うような気がする。
そうこうするうちに道具屋筋まで来てしまった。どう考えてもこっちじゃないと思い、また浅草まで戻った。
次は花やしきの横手にある「ひさご商店街」を北上してみる事にした。浅草に1年ほど住んでいるがこの先には行ったことがない。この商店街は今でこそ観光客で賑わっているが、当時は薄暗く寂れた感じの商店街で、近寄りがたい雰囲気だった。意を決して商店街を突き進むが、何も見つからないまま通り抜けてしまった。
これより先は普通の住宅街になってる。かろうじて両サイドに小さな商店が並んでアーケードっぽい雰囲気は残っているが・・・。どう考えてもこの先には無いだろうと戻ろうとした時、ふとそのアーケード通りの名前に気づいた。「千束通り」と書いてある・・。
千束!!思い出した!!そう言えば“吉原”は千束にあると誰かが言っていたような気がする。
私の足取りは俄然軽くなり、ぐんぐん千束通りを突き進んでいく。しかし千束通りの一本裏は普通の住宅街なのである。どう考えてもない・・。そうこしているうちに千束通りを突き抜けてしまった。無い!どこにも無い!
諦めて千束通りをトボトボと戻っている時に、ふと右手の住宅地のさらに奥手を目をこらして見てみると・・・なんとなくピンクの看板が見える・・。
まさかあれか・・?! 半信半疑でごくごく普通の住宅街を抜けると・・・。
そこには目映いばかりの色とりどりの建物が立ち並んでいたのである。
とうとう見つけた!ここが吉原に違いない。
しかし凄い所にあるものである。普通の住宅街の中にいきなり出てくるのである。
明確に吉原に行くぞ!っと強い意思がない限りは見つける事ができないだろう。まるでジャングルを掻き分けて進んだ先にいきなり現れたエルドラド(黄金郷)のようなものである。
それにしても凄い!ラブホテルのような建物がず〜っと奥まで立ち並んでいる。しかもこのような通りが4っつくらいある。どこまで続いているか解らないほどだ。いくつくらい店舗があるのか想像がつかない。興奮しながらズンズン進んでいくと、店舗の前の黒服のお兄さんが次から次と声をかけてくる。しかもかなり勧誘がしつこい。(今ではしつこい声がけが法律で禁止されているが当時は無かった)1店舗1店舗ごとにしつこく勧誘されるので、これはたまったもんじゃないと、そそくさと吉原を後にした。
いつか俺も金持ちになって帰ってきてやるぞと・・。
今改めて考えると、当時はもっと人が歩いていて活気があったような気がする。
(もともと不便な場所にあるので、歩いて行く人自体が少ないが)
現在は統廃合が進み100店舗ほどしかないが、当時は300店舗くらいあったらしい。
こういう場所が無くなっていくのは寂しい限りだ。
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